歴史を考える上で、「言葉」というものがとても大切であることを思い知らされた本です。

普段何気なく使っている言葉ですが、時代によっては全く違った意味であったり、時代によってはその言葉自体が存在していなかったり。

本書の中では、

「日本」という国名がいつから使われはじめたか?

「日本」の範囲とはどこまでなのか?

「関東」や「関西」などの地域は、いつから認識されはじめたか、そしてその範囲はどのように変わったか?

などと言ったものから、

「百姓」は「農民」ではないこと。

「普通の人々」はなんと呼ばれたのか、被差別民の呼称は、そもそも被差別民とはどのような人だったのか、

「商業用語」「日常用語」

という現在の認識と異なる「言葉」を、昔はどのように使われてきたのか、なぜ、現在のような使われ方をしているのか、を丁寧に解きほぐしてくれています。

日常、われわれが何気なく使っている言葉には、実は意外な意味が含まれていることがあります。あるいはまた、われわれの思い込みによって言葉の意味を誤って理解していることもしばしばあるのです。
(中略)
しかも、そうした問題を考えることによって、従来の歴史の見方を修正せざるを得なくなったり、現代に対する理解が変わって、世の中がこれまでと違って見えてくることさえあるのではないかと考えます。(P.9)

 

国名が決まったのはいつか

日本という国名が決まったのはいつかといいますと、現在の大方の学者の認めるところでは、浄御原令(きよみはらりょう)という法令が施行された689年とされています。浄御原令は天武天皇が編纂を開始して、死後その皇后の持統が施行した、はっきりと存在が確認されている法令です。(P.15)

はっきり言えることは、このとき以前、つまり倭から日本に国名を変えた時より前には、日本国という国は地球上に存在していなかったということです。
(中略)
「日本の旧石器時代」「弥生時代の日本人」といった表現を、今でも歴史学者は平気で使います。私も無意識にそういう言い方をしてしまうことがありますが、本当はこれは日本人の歴史意識を曖昧なものにする、決して言ってはならない表現だと思います。(P.17)

「日本」という国号はどういう意味なのでしょうか。

日の出るところは即ち、東の方向うぃ指しているに過ぎないと理解するほかありません。つまり、日本とは地名ではなく、東の方角を意味する国名ということになります。

結局、これは中国大陸から見て東ということになるわけです。(P.20-21)

 

それは逆に言えば、それまで「倭」という国名を使って、明らかに隋以前の中国大陸に朝貢していたヤマトの支配層が、小さいながら律令を定め、自らの帝国を明確に打ち出したのだということもできるのです。つまり、自らを朝貢国と位置づけていた状態から、脱却を図ったのだと思います。

 

「百姓」について

「百姓」の語には本来「農民」の意味はなく、古代から近世にかけての史料を綿密に読んでいくと、「百姓」の実態は決して「農民」だけではなくて、さまざまな生業に従事する人が沢山いたことが明瞭になってきます。(P.71)

ある学者は、「百姓」の読みは本来は「ひゃくせい」で、普通の人という意味だったのが、中世に近づくと「ひゃくしょう」と読むようになり、農民を指すようになったと言って、「百姓」はやはり農民だと強調し、私を批判されました。
(中略)
何となくもっともらしく聞こえるこうした説は、きちんと根拠を調べてその当否を明らかにしておく必要があります。(P.74-74)

なぜ我々はこのように中世の社会におぴても百姓を農民と思い込み、年貢は米だと考えてしまったのでしょうか。その最大の理由は、年貢が古代の制度の影響で、基本的に水田、例外的には畠地に賦課されていたことにあります。(P.81)

 

「自由」という言葉について。

「自由」は中国大陸から入ってきた言葉ですが、元来は専恣横暴な振る舞いをするという語義で、専らマイナスの価値を示す言葉だったのです。
(中略)
明治になって、福沢諭吉は『西洋事情』の中で、フリーダム、リバティを「自由」と訳していますが、その際にも「原語の意味は、日本語の我儘放蕩で、国法をもおそれぬという意義の語ではない」とわざわざ断っています。(P.197)

「自由」を「無縁」と表現することについて。

多くの柵をすてて、田舎に移住したわたし個人の体験として、この感覚は非常に理解できます。

日本の中世における「自由」を表現する言葉として、「無縁」という語があるのではないかと考えてみたことがあります。

「無縁」という言葉には、世の中のさまざまな世俗的な関係をすべて断ち切った「自由」という意味が含まれていると考えています。(P.198)

 

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